「野良犬の夜は長く③」 私の『罪と罰』

 「ああ、これはこれは!この記事の更新は11月15日だと思っていたんですがね...。」

「15日!15日だって?とんでもない!いや、失礼。私は確かに次の更新は11月15日と言いましたがね...。しかし、考えてみてくださいよ。人間というものが、そんなに厳密に締め切りを守れるものでしょうか?厳密!そう、厳密にです!残念ながら人間というものは...一般的に言ってですがね、締め切りなんてものを守れないようにできているのですよ!え?そんなことはない?いや、冷静に考えてみてくださいよ。例えばあなたが何かしらのブログ記事を書くとしてですね。どうしたんです?まだ話の途中ですよ。どうしたんです?腰を浮かせたりして!そうですよ。座ってください。へっへっへ(хе-хе-хе!)なんの話でしたっけ?そうでう。締め切り!締め切りですよ!そうですよ...人間なんてものはね、残念ながら放っておけば、締め切りを守らなくなる生き物なんです。こんな話がありますよ。私の住んでいた村ではね...

 突然何事かと思われた方もいらっしゃるかもしれないが、最近ドストエフスキーの『罪と罰』を読み返していたので、新潮社版ドストエフスキー『罪と罰』っぽい文章で予告更新日に更新できなかった弁明をしようと思ったのであるが、どうであろうか。私的には、あまりうまくいっていない気がするので、とりあえず無視して流して欲しい気持ちでいっぱいである。

 さて、『罪と罰』である。「なぜ、突然『罪と罰』?」と思われる方もいるだろう。これは前回の記事に遡るのであるが、「私たちは皆ゴーゴリの「外套」から生まれたのだ」という言葉が長らくドストエフスキーの言葉として受け入れられていたという事実を紹介した。この文章を書いている時、私は思ったのである。

「そういえば日本人ってドストエフスキー大好きじゃない?」と。

日本人はドストエフスキーが好きである。特に『罪と罰』が好きである。次点は『カラマーゾフの兄弟』である。まぁ、そんなふうに私が勝手に思っているという話である。

 しかし、事実、本屋のロシア文学コーナーには必ずと言っていいほどドストエフスキーに関連する書物は2,3冊置いてあるし、古本屋に行くと、ドストエフスキーに関する本の数が他のロシア文学作家について書かれた本の数よりも多かったりする。

 統計をとったわけではないし、実際に調査したわけでもないので、私の感覚の域をでないのであるが、やっぱり日本人はドストエフスキーが好きだと思う。

 弁解しておくと、日本人のドストエフスキー好き問題に関しては、色々なところで言及されており、一概に私の感覚の問題とも言えないのである。

 ちなみに「ドストエフスキーって何それ?美味しいの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれないので、簡単に説明しておくと、ドストエフスキーはロシアの作家である。

 フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキイ(Фёдор Михайлович Достоевский)は1821年モスクワに生まれた。貴族の家に生まれた彼ではあったが、いわゆる落ちぶれた貴族であり、暮らし向きは余裕のあるものではなかった。17歳の時にペレルブルクの陸軍工科学校に入学、卒業後に製図係として任官するが、文学を志し退任。1846年に『貧しき人びと(Бедные люди)』を発表。これが、彼に文壇への道を開いた。

 この作品の原稿を読んだネクラーソフ(当時の有名な詩人)が、感動し、無名の青年であったドストエフスキーを訪ね、祝福したという逸話が残っている。

 とてもうらやましい話で、私も有名な作家の方にいたく感動され家へ訪ねてきてほしい人生だったと思う。そもそも、小説の原稿を書かない人間のところに、「原稿を読みました」という人間が尋ねてくるはずもないので、望み薄なのであるが。とりあえず、「小説の原稿を書けよ」と私は自分自身に言いたい。

 さて、ドストエフスキーに話を戻そう。当時もっとも有名な詩人に祝福され処女作が成功を収めた彼であったが、彼の経済状況は芳しくなく、金が入ると芝居の切符や陽気な食事、賭博などに使ってしまっていたらしい。宵越しの金は持たねぇ。江戸っ子であり、見習っていきたい精神である。ただ、処女作の成功は様々な文学サロンへの扉を開いた点に価値を見出すべきだろう。彼は同時代の作家たちとの交流をそこで持つことができた。

 しかし、続く作品の評価は芳しくなかった。段々と社会主義思想に興味を向けていった彼はペトラシェフスキイ会という団体に入り、そこで自分の文章をたびたび朗読した。それが理由で1849年に彼は思想犯として逮捕され投獄されてしまう。

 すんでのところで死刑を免れた彼は4年間の重労働と4年間のシベリア軍役を言い渡される。(この448年という数字は、奇しくも『罪と罰』主人公のラスコーリニコフの刑期と同じである。)

 サブカル界隈ではロシア人キャラと言えば口癖が「シベリア送り」となる昨今。ロシアと言えば「シベリア送り」と思っている方も多いのではないだろうか。ドストエフスキーはそんなみんな大好き「シベリア送り」された作家なのである。

 さて、今や日本ではネタのように使用されているシベリア送りであるが、当人にとっては重大問題である。彼の健康はそこで著しく阻害され、思想にも多大な影響を与えたとされる。

 刑期を終了した彼は1857年に一回目の結婚。しかし、幸福な生活は長くは続かず、1865年には妻は病死する。その間にドストエフスキーは『虐げられた人々(Униженные и оскорблённые)』(1861年)や『死の家の記録(Записки из мёртвого дома)』(18611862年)といった作品を世に出している。

 職業作家として生計を立てていた彼はその生活習慣からずっと金銭的問題を抱えていたが、1983年から1985年にかけてはヨーロッパへ足を運び、恋愛がらみの事件を起こしたり、ドイツの賭博場で有り金を全部失ってしまったりしている。

 そのような絶望的な状況の中でも『地下室の手記(Записки из подполья)』(1864年)、『罪と罰(Преступление и наказание)』(1866年)、『賭博者』(1866年)などを発表する。1867年に速記者アンナ・スニートキナと2回目の結婚をしてからは、段々と彼の生活は安定を獲得していく。

 ちなみに、速記者というのは、その名の通り、文章を手早くタイプしていく人のことで。ドストエフスキーが口述する作品を文字起こししていたのがアンナ・スニートキナなのであった。

 1868年には『白痴(Идиот)』、1871年から72年にかけて『悪霊(Бесы)』を発表。その後1881年に彼が病に倒れるまでは、経済的にも精神的にも安定した生活をドストエフスキーは送ることができた。この安定期に彼は評論や論文を集めた『作家の日記(Дневник писателя)』を発表し、長編『未成年(Подросток)』(1876年)や、未完に終わった『カラマーゾフの兄弟(Братья Карамазовы)』(1879年)を世に出した。

 ちなみに、『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『未成年』、『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの5大長編と呼ばれており、読み応え十分。全て読めば、友達に自慢できること間違いなしである。

 ただ、ドストエフスキーの5大長編を全部読むような人間は一般的な尺度からすると、けっこうやばい(いい意味でも悪い意味でも)と思うので、もしも自慢してくる友人がいたら、過度に内省的で内向的かつ思想的な人間になっていないか注意してあげる必要がある。感受性が強い人だと形而上の世界から戻ってこれなくなる可能性がある...と思う。

 まぁ、これは話半分に聞いていただいていいのだが、とりあえずドストエフスキーの作品はめちゃくちゃ面白い。ただ、他人にその読書体験をド直球に伝えると十中八九心配されるので、ドストエフスキーの作品については冷静な気持ちの時に他人に話した方がいい。以上が私の個人的な体験から得られた知見である。

 さて、日本人ドストエフスキー大好き問題に話を戻そう。日本人とドストエフスキーの出会いは明治時代に始まる。1890年代には『罪と罰』の翻訳(翻案?)が出ており、大正期には本格的に紹介がされていく。大正、昭和と多くの作家に影響を与えており、ドストエフスキーの作品を読んでから、日本人作家の作品を読み返してみると、「めちゃくちゃドストエフスキーの影響うけてるじゃん!」と言いたくなってしまう作品も多い。

 手塚治虫も『罪と罰』のコミカライズをしているのだから、その影響力たるや、推して図るべしである。

 それくらい長く、そして強く影響を与えてきた作家であるので、なんとなく「作家たるものドストエフスキーは必読」みたいな雰囲気が存在している。だからこそ『『罪と罰』を読まない』(文春文庫、2019年)というユニークな本が生まれたりする。

 この『『罪と罰』を読まない』という本は、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことのない作家4人が、わずかに持っている断片的な知識から『罪と罰』あらすじを予想していくという座談会を文字起こししたものだ。これがなかなか面白い。まず、作家の想像力に感心してしまう。ストーリーが組みあがっていく過程のようなものが垣間見れるので、とても刺激的だ。そして、何よりこの本は『罪と罰』の魅力的な紹介になっていて、読了と同時に『罪と罰』を猛烈に読みたくなってしまうのだ。

 というわけで、さっそくkindleで『罪と罰』を購入し5年ぶりに作品を読んでいたら、止まらなくなってしまった。空き時間をほぼ全て読書に使っていたため、記事を書き始めるのが遅くなってしまったのだった。恐るべし...ドストエフスキー。皆さまもはまりすぎにご注意を。

2021年11月18日 りん(samorin)
次回更新は11月30日予定です

コメント

このブログの人気の投稿

「野良犬の夜は長く」⑤~拙訳「あいびき」について

「野良犬の夜は長く」⑦ 私とナボコフ

過去からの負債か?未来からの投資か?—アパデュライの「消費」論からの示唆—