土地と境界と水をめぐって
前回の読書会(8月27日)では、民族暴動や、エスニシティの異なる隣人との間で血みどろかつ大規模な暴力が起きることについてのアパデュライの考察を取り上げた。そこで隣人との暴力の応酬という事象を枕に、自分が土地や水や境界をめぐってぼんやりと考えていたことを思うままにつらつら書いていこうと思う。
とは言っても、この記事を書いている僕ことラシード(仮)は、労働の魔の手にかかり読書会に間に合わなかったため、以下の話はアパデュライの議論の本筋とは関わりのない話である。
少し前、知り合いが田んぼの水をめぐる紛争の話をFacebookに投稿していた。
その方は70代中盤の高齢の方だが、SNSで広く交流をしていたり、自分で育てた作物を加工して販売していたりと非常に活発な方だ。
彼女が住んでいるのは僕の地元で、俗にいう限界集落であり、今では過疎化が急激に進んでいる。
曰く、彼女の義理の父や祖父が若い頃は、この集落でも上流の地域と下流の地域で水をめぐって諍いが起き、暴力沙汰に発展することも珍しくなかったという。
この投稿を見た時、ハッと思ったことがあった。
僕自身、大学で歴史学を学び、深く立ち入ったわけではないにしろ、セミナーで土地をめぐる裁判記録などを講読したこともあるし、歴史上、水をめぐる争いは非常に深刻であったこと、また自分の専門にしている地域が、とりわけ水資源に非常に大きく左右されてきたことも頭では理解していたつもりだった。
ただ、彼女の投稿を読むまで、今を生きる自分自身の肌感覚としても、その土地に生まれ育った者としても、水をめぐる切羽詰まった状況への理解がおよんでいなかったのではないかという疑念を抱いたのであった。つまり、どこかそこにある世界を他人事のように感じていたのではないかと。
自分が大学進学まで暮らしてきたまさにその土地で、自分やその近しい人間の先祖が、ごく最近まで水をめぐって争うことが頻繁にあった。この投稿を見た際、地元の馴染みのある風景と共に、すごく鮮明に当時の情景を脳裏に浮かび上がらせることになった。
水をめぐる争いというのは、土地をめぐる争いとも地続きである。土地を分けるというのは、そこに境界が生まれることを意味する。
よくよく思い返すと、僕の祖父も土地の境界をめぐって険悪な雰囲気になっていたことがあった。といっても、祖父は当時すでに認知症が進行しており、そうした人によく見られる自分の財産に危害が及ぶのではないかという被害妄想の類だったとは思うが。
しかし、祖父はしきりに隣人に対してあの土地はここから自分たちの土地だったのを境界を越えて柵を設けているとか、何かに利用しているとか、そういったことを言っていた。
僕の専門は中央アジアの歴史で、自分の研究ではほとんど言及できなかったものの、土地をめぐる裁判記録や訴状、君主による土地所有権の証明、土地の売買記録などをセミナーで読んだことが何度かあった。
そこでは、自身の土地の所有権を徹底的に主張する姿、土地の境界を明確に表すための様々な語彙、その持ち主の特徴と家族、財産の分与・譲渡の際の取り決めなどが事細かに書かれており、それだけ不動産としての土地が持つ、世人をしてひれ伏せしめるような”力”が示されていた。そんな印象があった。
歴史を紐解くと、19世紀の中央アジアで大きな動乱が起き、遊牧民がその優勢な軍事力によって定住民の集住地域に進出してきた際、まず行ったことが、取水権の接収や、水辺の利用しやすい土地を占領し自分たちのものとすることだった。
水自体はは不動産ではないが、かといって人間の意思で軽々と動かせる動産でもない。それは土地と強力に結びついたもの。
人が住むところは必ず水がなければならない。それも真水が。
そしてそれは生命に直結するものであるからこそ、人は時に相手を害してでもそれを守ろうとするし、手に入れようとさえする。
話を最初に戻すと、知人が投稿していた「水をめぐる諍い」は、自分の研究対象が自分の身近な場所と強く結びついたことを実感する機会となった。
こんな終わり方でいいのだろうか。
(ラシード)
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