記念すべき私の第一回の記事は?

 「読書会で共同ブログを立ち上げよう!」ということになり、記事を書くことになったのですが、さて、どうしたものか。

 うんうんうなっている内に、読書会メンバーが誰も記事を書かず、「もうなんでもいいから記事を書くぞ!」となりました。読書会ではアパデュライの『さまよえる近代』を読んでいますが、ブログはなんでも書いていいらしいので、最近買ったり、読んだりした本について書こうかなと思っています。

 でも、「最初の記事だから気合を入れよう」と思い、早一週間近くが経ちました。結局わかったのは、「うまくやろうと気合を入れると、行動のハードルが上がる」という事実だけ。つまり、一文字も書かなかったわけです。というわけで、あんまり気負わず、かっこつけずに文章を書いていこうかなと思います。

 突然ですが、古本屋をめぐるのが好きなので、東京に移住したことをいいことに、暇な時は神保町周辺を散歩しています。散歩に疲れるとカフェに入ったりしています。なんていい生活なんだ。素晴らしい。

 というわけで、古本屋をめぐっていた私。ふと入った店で蓜島亘『ロシア文学翻訳者列伝』(東洋書店、2012年)を見つけました。これは、江戸時代から明治、大正にかけてのロシア文学の受容史を扱った本で、翻訳者を中心軸に据えながら、日本において海の外から来た文学作品が、どのように翻訳され、受容されたのかが書かれています。

 海外文学の受容史というのはとてもロマンがあると私は考えています。「何を誰がどのように翻訳するか」、「誰が何をどのように読むか」、というのは環境に寄るところが大きく、どんな作品が翻訳されたのか、どのように作品が読まれたのかを追うと、その時代の特徴や人々の関心が浮き彫りになってきます。

 特に明治から大正にかけての時期は、西洋の国々に追いつくという目標があり、文学という分野でもまた、西洋を見習って、新しい形式や潮流、思想もろもろを吸収するためにいわゆる「知識人」たちが苦心惨憺しながら外国の文化を咀嚼するために努力が行われた時期です。「西洋に追いつく」という大きな物語があるので、ドラマチックでわかりやすいですし、作品から感じられる熱量もすごいです。その熱量に、当時の文章を読んでいて何度涙腺へ熱く込み上げてくるものを感じたことでしょう。

 そんなロマンあふれる時代に、ロシア文学に魅せられた人々が、どの作家のどの作品をどのように翻訳したのか。そして読者はどう反応したのか。この本に収められているのはそうした歴史です。

 さて、こうしたブログの記事で紹介する本は、一般的に人気があったり、手に入れやすい本を紹介するイメージが強いのですが、どうなんでしょうか。ちなみに、この『翻訳者列伝』、出版元が倒産してしまい、絶版状態なので、購入という点でのハードルは高めです。しかし、付録のロシア文学翻訳年表(抄)を含めて、とても良い本です。もしも、あなたが私と同じように古本の森を散策するのが趣味であるならば、いつかどこかで出会えるかもしれません。その時は手に取ってみてください。では、また。

 

202173日、りん)

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