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7月, 2021の投稿を表示しています

クラウディア・リョサ La Teta Asustada (邦題:『悲しみのミルク』)

「綴った文章を世に出し、そこからさらに学びなさい」 これはとある方からつい先日いただいたことばです。(さっそく、今年の抱負に追加しました。もう半分終わってるけど、笑)「世に出す」ことが怖く、なかなか発信できないのがわたくし、よもぎの特徴でもあるので、このブログを通して、そんな特徴を改善していけたらと思っております。 さて、このブログでは、「つれづれなるままに」わたしがワクワクしたり、こころうごかされたりしたものについて書き記していこうと考えています。「書く」ことを通して、過去の記事とつながり、そこから生まれる相互作用によって、さらなる発見があったらいいなとひそかに思っている今日この頃です。 今日は、 りんさんのバルガス=リョサのお話 に関連して、映画  La Teta Asustada について書いていこうと思います。 La Teta Asustada   (邦題:『悲しみのミルク』、個人的には「怯えた乳房」の方が原題に近いと思います)は、2009年に公開され、国内外の映画祭でノミネート歴、受賞歴のある映画です。一見いかがわしい(?)題名に思われるかもしれません。しかしこれは、ペルーにおける「テロの時代」にレイプ被害に遭った母親のかなしみが母乳を通じてその子どもに伝わるという言い伝えが元になっているのです。この映画の主人公も、母親からこうした恐怖を受け継ぎ、それを抱えながら生きています。 内容に言及するのはこれぐらいにして、バルガス=リョサとどう関係があるのかについてお話ししたいと思います。実はこの時監督を務めたのがマリオ・バルガス=リョサのめいである、 クラウディア・リョサ なのです。クラウディア・リョサは2006年公開の Madeinusaの 監督も務めていますが、この2作品の最大の特徴は、劇中でのQuechua(ケチュア)の使用です。   Quechua はインカ帝国時代も使用され、現在はペルーの公用語のひとつとして認められていることばです。ペルー国内外には様々な変種が存在するため、単一の言語ではなく、ケチュア語族と呼ばれます。 ペルーの友人によると、近年、映画に限らず、Quechuaを用いた創作活動がペルー国内で活発になっているとか。 La Teta Asustada でも、美しいQuechuaの歌を聞くことができます。機会があり...

バルガス=リョサ『若い小説家に宛てた手紙』

  この世界に存在している殆ど全てのものは、様々な部品の集合体であり、その部品の相互作用によって動いたり、効果を生んだりしているということを意識するようになったのは、最近のことだ。私がそれを意識するようになった経緯は一旦置いておくとして。その相互作用のことを私たちは「仕組み」と呼んでいる。複雑な電子機器が身の回りにあふれかえる現在。普通に生活していればそれらの電子機器の仕組みに思いを馳せることは殆どない。そんなこと気にしなくてもスマートフォンは動くし、タブレットもちゃんと反応してくれるからだ。  電子機器に限らず、社会も色々なパーツの集合体だ。それを構成するパーツもまた、細分化することができる。そして私が普段読んでいるような小説も、やはり、様々なパーツ、要素と言い換えてもいい、の集合体なのである。その要素の相互作用により、読者は心動かされ、時に感動するのだ。  小説を読む際に、必ずしもその構成要素に詳しくある必要はない。「人称」が、「時制」が、などということを意識しなくても、私たちは物語の筋を追うことができるからだ。しかし、あなたが創作者たらんとするならば、小説を構成する要素を解剖し、分類し、分析する能力と情熱が必要となるだろう。いや、創作者に限ることではないのだ、アルベール・チボーデの言う「リズール(精読者)」や、ウラジーミル・ナボコフが唱えたような、作家の感じた「霊感」を感じられるような読者たらんとするならば、我々は小説を構成するパーツにまで目を向けなければならない。  バルガス=リョサの『若い小説家に宛てた手紙』 [i] を読み返しながら、私はそんなことを考えていた。この本は、ペルー生まれの小説家マリオ・バルガス=リョサによる、小説家志望の青年の手紙への返信という形式で書かれた小説論である。題名からわかるように、小説家を目指す人を主要な読者と想定した内容だ。第一章、第二章の「サナダムシの寓話」、「カトブレパス」で小説を書くモチベーションに関する話があり、それに続くのは「説得力」、「文体」、「語り手。空間」 … といった小説を構成する形式や要素だ。物語の解剖と、分析、なんとなくジュネットの『物語のディスクール』を思い出させるが、そんなに肩を張る必要はない。書簡体で書かれているので、無理なく読み通すことができる。  しかし、比較的容易に読み通せると...

記念すべき私の第一回の記事は?

  「読書会で共同ブログを立ち上げよう!」ということになり、記事を書くことになったのですが、さて、どうしたものか。  うんうんうなっている内に、読書会メンバーが誰も記事を書かず、「もうなんでもいいから記事を書くぞ!」となりました。読書会ではアパデュライの『さまよえる近代』を読んでいますが、ブログはなんでも書いていいらしいので、最近買ったり、読んだりした本について書こうかなと思っています。  でも、「最初の記事だから気合を入れよう」と思い、早一週間近くが経ちました。結局わかったのは、「うまくやろうと気合を入れると、行動のハードルが上がる」という事実だけ。つまり、一文字も書かなかったわけです。というわけで、あんまり気負わず、かっこつけずに文章を書いていこうかなと思います。  突然ですが、古本屋をめぐるのが好きなので、東京に移住したことをいいことに、暇な時は神保町周辺を散歩しています。散歩に疲れるとカフェに入ったりしています。なんていい生活なんだ。素晴らしい。  というわけで、古本屋をめぐっていた私。ふと入った店で蓜島亘『ロシア文学翻訳者列伝』(東洋書店、 2012 年)を見つけました。これは、江戸時代から明治、大正にかけてのロシア文学の受容史を扱った本で、翻訳者を中心軸に据えながら、日本において海の外から来た文学作品が、どのように翻訳され、受容されたのかが書かれています。  海外文学の受容史というのはとてもロマンがあると私は考えています。「何を誰がどのように翻訳するか」、「誰が何をどのように読むか」、というのは環境に寄るところが大きく、どんな作品が翻訳されたのか、どのように作品が読まれたのかを追うと、その時代の特徴や人々の関心が浮き彫りになってきます。  特に明治から大正にかけての時期は、西洋の国々に追いつくという目標があり、文学という分野でもまた、西洋を見習って、新しい形式や潮流、思想もろもろを吸収するためにいわゆる「知識人」たちが苦心惨憺しながら外国の文化を咀嚼するために努力が行われた時期です。「西洋に追いつく」という大きな物語があるので、ドラマチックでわかりやすいですし、作品から感じられる熱量もすごいです。その熱量に、当時の文章を読んでいて何度涙腺へ熱く込み上げてくるものを感じたことでしょう。  そんなロマンあふれる時代に、ロシ...