クラウディア・リョサ La Teta Asustada (邦題:『悲しみのミルク』)
「綴った文章を世に出し、そこからさらに学びなさい」 これはとある方からつい先日いただいたことばです。(さっそく、今年の抱負に追加しました。もう半分終わってるけど、笑)「世に出す」ことが怖く、なかなか発信できないのがわたくし、よもぎの特徴でもあるので、このブログを通して、そんな特徴を改善していけたらと思っております。 さて、このブログでは、「つれづれなるままに」わたしがワクワクしたり、こころうごかされたりしたものについて書き記していこうと考えています。「書く」ことを通して、過去の記事とつながり、そこから生まれる相互作用によって、さらなる発見があったらいいなとひそかに思っている今日この頃です。 今日は、 りんさんのバルガス=リョサのお話 に関連して、映画 La Teta Asustada について書いていこうと思います。 La Teta Asustada (邦題:『悲しみのミルク』、個人的には「怯えた乳房」の方が原題に近いと思います)は、2009年に公開され、国内外の映画祭でノミネート歴、受賞歴のある映画です。一見いかがわしい(?)題名に思われるかもしれません。しかしこれは、ペルーにおける「テロの時代」にレイプ被害に遭った母親のかなしみが母乳を通じてその子どもに伝わるという言い伝えが元になっているのです。この映画の主人公も、母親からこうした恐怖を受け継ぎ、それを抱えながら生きています。 内容に言及するのはこれぐらいにして、バルガス=リョサとどう関係があるのかについてお話ししたいと思います。実はこの時監督を務めたのがマリオ・バルガス=リョサのめいである、 クラウディア・リョサ なのです。クラウディア・リョサは2006年公開の Madeinusaの 監督も務めていますが、この2作品の最大の特徴は、劇中でのQuechua(ケチュア)の使用です。 Quechua はインカ帝国時代も使用され、現在はペルーの公用語のひとつとして認められていることばです。ペルー国内外には様々な変種が存在するため、単一の言語ではなく、ケチュア語族と呼ばれます。 ペルーの友人によると、近年、映画に限らず、Quechuaを用いた創作活動がペルー国内で活発になっているとか。 La Teta Asustada でも、美しいQuechuaの歌を聞くことができます。機会があり...